蔵元物語

当酒蔵「馬場酒造場」のホームページをご覧頂き、誠にありがとうございます。
佐賀県鹿島市の能古見地区に蔵を構える我が社、馬場酒造場は創業より200年以上の間、清酒ひとすじに造り続けて参りました。
8代目現社長、そして杜氏を務めます私、馬場第一郎まで繋がってきた弊社の歴史・想いに少しの時間お付き合い頂けたら幸いです。
当酒蔵「馬場酒造場」のホームページをご覧頂き、誠にありがとうございます。
佐賀県鹿島市の能古見地区に蔵を構える我が社、馬場酒造場は創業より200年以上の間、清酒ひとすじに造り続けて参りました。
8代目現社長、そして杜氏を務めます私、馬場第一郎まで繋がってきた弊社の歴史・想いに少しの時間お付き合い頂けたら幸いです。

静寂の中に佇む小さな蔵


豊饒の海・有明海に面した佐賀県鹿島市。
海沿いの国道207号を背に444号を山手に入ると、支流の中川が道案内するようにゆったりと流れています。
緑の山々に囲まれ、日本の原風景的な眺めの一角をなす馬場酒造場は、この中川のほとりで200年以上の時を刻んできました。
そんな我が社の歴史は、1795年(寛政7年)に初代、馬場夘左衛門が創業したことにより始まりました。
ここからは少々跳びますが、私、8代目馬場第一郎の話をさせてください。

27歳の頃、ある経営者講習会で1つの商品を企画・製造・定着するのに20年かかると言われ、さらに危機感を感じました。
また、バブル崩壊後、酒類価格の自由化により、大手企業が普通酒を低価格で販売する世の中でもありました。
『自分が造りたいお酒を』『想い入れのあるお酒を』そう思い立った私は、これまでの馬場酒造場のスタイルを見直します。
酒米最高峰の山田錦を地元鹿島で生産し、原料をオール地元産とした特定名称酒で生き残る道を選ぶ決心をしました。
JAや地元農家の説得に7年を費やし、ようやく弊社のブランドが誕生します。
かつての地名“能古見村”を由来にした、地元農家と我々造り手の想い・技術が詰まった『能古見(のごみ)』の歴史が始まりました。

しかしながら、当時は贈呈用、進物用が当たり前だった特定名称酒。
酒販店の反応も悪く売れない時期が続き、廃業寸前でした。
それでも、質の高い清酒を常飲して頂きたい想いを持ち続けるうちに、地元鹿島の酒販店が私の想いに賛同してくれました。
34歳のころ、最後の望みをかけた『純米吟醸搾り立て』を発売。
当時では画期的な純米吟醸の生酒は好評を頂きました。
この商品は今でも『純米吟醸 あらばしり』としてお客様に愛されています。
また同時期に、雑誌主催の全国日本酒コンテストで2年連続のグランプリを受賞し、『能古見』の認知度は広がりだしました。
その後、清酒の多様化、お客様のニーズにともない、様々な『能古見』を造り出してきました。

静寂の中に佇む
小さな蔵
小さな蔵

豊饒の海・有明海に面した佐賀県鹿島市。
海沿いの国道207号を背に444号を山手に入ると、支流の中川が道案内するようにゆったりと流れています。
緑の山々に囲まれ、日本の原風景的な眺めの一角をなす馬場酒造場は、この中川のほとりで200年以上の時を刻んできました。
そんな我が社の歴史は、1795年(寛政7年)に初代、馬場夘左衛門が創業したことにより始まりました。
ここからは少々跳びますが、私、8代目馬場第一郎の話をさせてください。
昭和56年のこと、当時22歳の私は大学を卒業してすぐに弊社を継ぐことになりました。当時の売り上げは年々右肩下がり、取引先の酒販店の後継者不足も相次ぎ、弊社の存続も危うい状況でした。
27歳の頃、ある経営者講習会で1つの商品を企画・製造・定着するのに20年かかると言われ、さらに危機感を感じました。
また、バブル崩壊後、酒類価格の自由化により、大手企業が普通酒を低価格で販売する世の中でもありました。
『自分が造りたいお酒を』
『想い入れのあるお酒を』
そう思い立った私は、これまでの馬場酒造場のスタイルを見直します。
酒米最高峰の山田錦を地元鹿島で生産し、原料をオール地元産とした特定名称酒で生き残る道を選ぶ決心をしました。JAや地元農家の説得に7年を費やし、ようやく弊社のブランドが誕生します。
かつての地名“能古見村”を由来にした、地元農家と我々造り手の想い・技術が詰まった『能古見(のごみ)』の歴史が始まりました。
しかしながら、当時は贈呈用、進物用が当たり前だった特定名称酒。酒販店の反応も悪く売れない時期が続き、廃業寸前でした。それでも、質の高い清酒を常飲して頂きたい想いを持ち続けるうちに、地元鹿島の酒販店が私の想いに賛同してくれました。
34歳のころ、最後の望みをかけた『純米吟醸搾り立て』を発売。
当時では画期的な純米吟醸の生酒は好評を頂きました。この商品は今でも『純米吟醸 あらばしり』としてお客様に愛されています。
また同時期に、雑誌主催の全国日本酒コンテストで2年連続のグランプリを受賞し、『能古見』の認知度は広がりだしました。その後、清酒の多様化、お客様のニーズにともない、様々な『能古見』を造り出してきました。
代表、そして杜氏として日本酒の伝統と文化を受け継ぎつつ、新しい清酒の形を追い求めた『能古見』は私たちの想い入れがつまった代表ブランドです。近い将来、9代目馬場嵩一朗へとバトンが繋がれます。
さらに皆様に愛される『能古見』を親子で、
そして社員一同で目指していきたいです。
海沿いの国道207号を背に444号を山手に入ると、支流の中川が道案内するようにゆったりと流れています。
緑の山々に囲まれ、日本の原風景的な眺めの一角をなす馬場酒造場は、この中川のほとりで200年以上の時を刻んできました。
そんな我が社の歴史は、1795年(寛政7年)に初代、馬場夘左衛門が創業したことにより始まりました。
ここからは少々跳びますが、私、8代目馬場第一郎の話をさせてください。

昭和56年のこと、当時22歳の私は大学を卒業してすぐに弊社を継ぐことになりました。当時の売り上げは年々右肩下がり、取引先の酒販店の後継者不足も相次ぎ、弊社の存続も危うい状況でした。
27歳の頃、ある経営者講習会で1つの商品を企画・製造・定着するのに20年かかると言われ、さらに危機感を感じました。
また、バブル崩壊後、酒類価格の自由化により、大手企業が普通酒を低価格で販売する世の中でもありました。
『自分が造りたいお酒を』
『想い入れのあるお酒を』
そう思い立った私は、これまでの馬場酒造場のスタイルを見直します。
酒米最高峰の山田錦を地元鹿島で生産し、原料をオール地元産とした特定名称酒で生き残る道を選ぶ決心をしました。JAや地元農家の説得に7年を費やし、ようやく弊社のブランドが誕生します。
かつての地名“能古見村”を由来にした、地元農家と我々造り手の想い・技術が詰まった『能古見(のごみ)』の歴史が始まりました。

しかしながら、当時は贈呈用、進物用が当たり前だった特定名称酒。酒販店の反応も悪く売れない時期が続き、廃業寸前でした。それでも、質の高い清酒を常飲して頂きたい想いを持ち続けるうちに、地元鹿島の酒販店が私の想いに賛同してくれました。
34歳のころ、最後の望みをかけた『純米吟醸搾り立て』を発売。
当時では画期的な純米吟醸の生酒は好評を頂きました。この商品は今でも『純米吟醸 あらばしり』としてお客様に愛されています。
また同時期に、雑誌主催の全国日本酒コンテストで2年連続のグランプリを受賞し、『能古見』の認知度は広がりだしました。その後、清酒の多様化、お客様のニーズにともない、様々な『能古見』を造り出してきました。
代表、そして杜氏として日本酒の伝統と文化を受け継ぎつつ、新しい清酒の形を追い求めた『能古見』は私たちの想い入れがつまった代表ブランドです。近い将来、9代目馬場嵩一朗へとバトンが繋がれます。
さらに皆様に愛される『能古見』を親子で、
そして社員一同で目指していきたいです。

受賞歴
全国新酒鑑評会
令和6年(2024年) | 入賞 |
---|---|
令和4年(2022年) | 入賞 |
平成27年(2015年) | 入賞 |
平成18年(2006年) | 入賞 |
平成15年(2003年) | 金賞受賞 |
平成13年(2001年) | 金賞受賞 |
平成12年(2000年) | 金賞受賞 |
福岡国税局主催酒類鑑評会
令和5年(2023年) | 大賞受賞 |
---|---|
令和4年(2022年) | 金賞受賞 |
平成27年(2015年) | 大賞受賞 |
平成20年(2008年) | 入賞 |
平成19年(2007年) | 入賞 |
平成18年(2006年) | 入賞 |
平成15年(2003年) | 金賞受賞 |
平成14年(2002年) | 金賞受賞 |
特撰街主催 全国日本酒コンテスト
平成12年(2000年) | グランプリ |
---|---|
平成13年(2001年) | グランプリ |

全国新酒鑑評会
令和6年(2024年) | 入賞 |
---|---|
令和4年(2022年) | 入賞 |
平成27年(2015年) | 入賞 |
平成18年(2006年) | 入賞 |
平成15年(2003年) | 金賞受賞 |
平成13年(2001年) | 金賞受賞 |
平成12年(2000年) | 金賞受賞 |
福岡国税局主催酒類鑑評会
令和5年(2023年) | 大賞受賞 |
---|---|
令和4年(2022年) | 金賞受賞 |
平成27年(2015年) | 大賞受賞 |
平成20年(2008年) | 入賞 |
平成19年(2007年) | 入賞 |
平成18年(2006年) | 入賞 |
平成15年(2003年) | 金賞受賞 |
平成14年(2002年) | 金賞受賞 |
特撰街主催
全国日本酒コンテスト
平成12年(2000年) | グランプリ |
---|---|
平成13年(2001年) | グランプリ |
